お久しぶりですよ

台風がいくつもやってきて、やいのやいの言うてるまに、もう10月も半分すぎましたね。

 

いやはや、報告しなきゃいけないことの集積半端なく、もうほんと逃亡したい。消えたいレベル。

 

とにかく、最近強く思うことがあるので、書いてみよう。そう、ひとはみんな死ぬって話。

息子はそれが医学的にデータやなんやらがあっちゃうから、まあリアルに死期が予測できたりする殺人的便利機能つき。殺人的て表現あかんやつやな。はい。ではちょいお付き合いを

 

 

"こどもと生きる上で考えること、望むことは、私にはたったひとつなんです。「できるだけ命が継続していること」要するに生きていてほしい

 


そこに尽きる

 


あとはその上で、できるだけ息子自身がしたいことができたらいいと思う。誰かと比べなくていい。他でもない自分自身の人生を、できるだけできるだけ納得できるように生きていけたらいい。

 


だからまあまあ、他人からみたら「病気を理由に甘やかしすぎてませんか?」とか「躾がなってないぞ」的に見えるらしく叱られること多々。

 


たとえば甘やかしていたとして、そんなこと他者になんの迷惑もかけてないんだから、言われて直すなんて考えられない。ほっといてください、はい。

 


だってね、命は有限だ。特に疾患がありデータがある人間にしてみたら、いつか死ぬかもねーみたいなファンタジックなものではなく、明らかに突きつけられる現実だ。もうあと何年かしか生きられないぞって時に「やりたいことして死にたい」って発想は当たり前なんじゃないだろうか?そこに年齢や立場なんか関係ないと思う

 

 

 

だから私はどんな批判も受ける覚悟で息子には「好きなことだけ」させている。そこに腹をくくること、覚悟ができる立場にあるのは「保護者」だけだ。私が覚悟さえすれば、息子は短くとも納得できる人生を送ることができる可能性がある

 

 

 

ある時息子がいう「わかってるし、たぶんきっと18歳よりも生きられると思うけど、やっぱりな、死にたくないねん」

私はこの息子の思いをずっと引き受け続ける。笑いながら引き受ける。心の中がめちゃくちゃにかき乱されても、笑いながら引き受ける

 


それが私にできることだ

 

 

 

何度でも言う。私が息子に望むことはなにもない。今日を生きていてくれたらそれでいい。誰かのように何かができなくていい。

 

 

 

そしてもう一つ大切なこと。私はそんな息子のためだけに生きるのではなく、私も自分がどう生きたいかでなにをしたいかを考え続けたい。

 


私たちは、親子ではあるけれど、それぞれ、各々、個ごの人間だから"

 

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代表  みうら ゆう