自分を生きるということ

こんばんは。

酷暑が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?

 

さて、私は基本的にあまり悩まない方です、というか悩むことに飽きるので悩みが続かないという…しかしこんな私にだって悩みはあるわけでして。心優しき仲間や頼りになる人がアドバイスをくれたり話を聞いてくれたり。でも最終的にはやっぱり解決するのは自分自身でしかないなあと。

 

つまるところ悩みの多くは「誰かと比べて」自分はどうだとかこうだとかが、多いように思います。かつて、私は自分の性別すらも自分で認識できず、自分はなんのために生きているのか、自分はどこから来たのか、そして何者なのか、生きていてなんの役に立つのかと悩み落ち込み底をついて、何かが弾け飛び、自室のカーペットに火を放ちました。小5の夏休みでした。火は気づいた大人に速攻で消し止められ、私はただただ無表情に、死ぬことすらできない自分を軽蔑し立ち尽くしていました。

 

それから随分な時がたちました。随分めちゃくちゃな10代20代を過ごしました。誰かを傷つけ、自分を蔑み、大切な人を亡くし、自分の言葉で誰かの心を殺してきました。誰かの言葉に心を殺されたりもしていました。

50目前の今、少しは人として、自分を歩めるようになったでしょうか?自分を生きることに向き合っているでしょうか?

 

「自分以上も以下も以外もない自分を生きる」

 

私だったり僕だったりする私は、そんな自分を自分で乗り越えていきたいと思っています。

そして相変わらず、悩むことに飽きて、ほどほどに悩み、しかしながら、わりかし大真面目にこの国の未来を考えてるし、こどもたちに借金まみれでいつ戦争するかわからないような国を手渡しちゃいかんぞこら!などと、自分を鼓舞させる材料は、いつだって未来のこととこどもたちの将来のこと。つまり、自分が死んだあとのことなのです。

 

だけど、とにかくは今を大人もこどもも障害者もLGBTも、みんなが楽しめる社会であるように、そんなことも、ふわりと考えながら。

 

「大真面目に非常識を生きる」

 

脈々とDNAレベルで受け継がれてきたものの、時代にマッチしなくなったことは、たとえDNAレベルだとしても、ぶっこわして、ひっくり返してやろうじゃないかと本気で思ってるわけですよ。

 

そしていつも自分に問いたいのです。

「あなたは、自分を生きているのか?」と。

正解のない人生の旅路を、自分で自分を乗り越えて生きていたいと思うのです。

 

あの小5の夏休み。もしかしたら、自分だけじゃなく家族や隣人の命や財産を奪っていたかも知れない。

私はもう2度と、自分の命も他者の命も奪うことも奪われることも考えたくない。したくない。できるだけ長生きしてやろうと思ったりしています。

 

今日は、尊敬してやまなかった大切な恩師の命日なので、少しなんだか、こんな感じな文章を書いちゃいましたが、先生がこのブログを読んだら、きっと笑うでしょう。そしてきっとこう言う。

 

「お前、相変わらず言い回し古臭いな。文明開化前やな」

 

先生が教えてくださったことのすべてが、私の心の礎となっています。

いつかまたお会いしたいです。その時に恥ずかしくないように、自分を生きていこうと思います。

 

田辺先生へ捧ぐ

 

こどもエンターテインメント

代表 みうら  ゆう