助け合いが当たり前にあるコミュニティ

f:id:yuutakekodoen:20180905134122j:image【ご心配をおかけしてます】

昨夜、一時避難のち、今帰宅。まだ電気が復旧してない。街の信号機は復活してた。道路はガレキだらけ。息子氏再びパニック。さっきからずっと泣いてる。さて、どうしょうかな。

 

ところで今回の台風で、停電などの被害を受けたのは160万世帯。今日になり復旧してない世帯はごくわずか。

おい!またしてもマイノリティかい!!つい隣は、日常を取り戻してる。ちなみにソーラーパネルで自家発電してる家もけっこうある。あ!電動車椅子や、日常生活を電気をメインにしてる息子などの障害者チームは、停電したら立ち行かない。これ、ほんと重要切実!でもその電力使いのために、避難場所から追い出されるもあり。さて、どうしょうかな(昨日から何度も、さて、どうしょうかなを繰り返してる)

 

助けてと気楽に言い合えるコミュニティを作りたい。誰かのSOSに、応えらるだけ応えてきた。積極的にコミュニティ作りに参加してきた。ただ自分が実際に被災して、助けて!を出すのて、こんなに勇気がいるんだなと知る。もっと考えなきゃと思う。もっと深掘りしなきゃな。だって命の問題だから。だけどつい自分のことになると、だってほら?もっと大変な人がいるでしょ?とかばかり考えちゃう…

 

とりあえず家の中を片付けて、今日もどこか宿をとろう。今日たしか息子の個人懇談だかなんだか言ってたけども。ま、うん。行けなくもないが、息子を1人にできない状況だし。

 

さて、動きます。

 

ご心配をいただいてる皆さんへ。なかなか返事ができず、申し訳ないです。とにかく、停電なんでバッテリー温存してます。そして非常時につき、電波状況が悪いです。

 

私たちは生きてます。感謝深謝。

 

 

こどもエンターテインメント
代表 みうら ゆう
サイバーパンクTK/タケヒロ

 

ぼちぼちボーダレス時代がやってきそう

たまたま気が合った人、仲良くなりたいなあて思った人が、たまたま障害者だったってだけで、結局、仲間になりたいかどうかてところは、その人が持ってる人間性だったり、性格だったりてとこなんじゃないかなと思います。要は人間の質というかね。

 

「障害があるのに、よくこんなに頑張ってこられましたねー」という言葉をかけられるたびに、頑張ったのはもちろん頑張ってますが、障害があるから頑張ったってわけじゃないのになあ、とちょっと拗らせてんのかな?て感じはありますが、そう思います。

それでもまあ、他者からの評価よりも自分が納得できるかの方が大切かな、いや、それでも褒められるのはとても好きです、はい、褒められないと伸びません笑笑 誰かー!もっと褒めてー!

 

もうぼちぼち世の中は、ボーダレス化が進み、いちいち障害の有無でその人を見立てることはしなくなるのではないかな?

かわりに人間はもっと本質的なことを問われる時代になるだろうし、生活はもっとテクノロジーにより便利になると思う。ハンデ、みたいな概念も薄れていきそう。だったら、自分という人間をとことん生きたいなあと思うわけです。

とはいえ、ナビというテクノロジーをもってしてでも目的地にたどり着けない自分のポンコツさ加減よ。ホトホト情けないが、がんばる!!

 

夕暮れスーパーで半額で買った刺身セットで約300円で作れた海鮮丼のうまさにて、本日の様々は、結果オーライだ。

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こどもエンターテインメント
代表 みうら ゆう

方向健常者にはわかるまい!!

今日は5年ぶりの免許更新。今回も無事にゴールドでございます。ありがとうございます。安全運転これからも続けます!

ご存知の方も多いかも知れませんが、私は極度の方向音痴です。5年前に受けたテストでは「あなたよくこれで生活してますね?立体認知(いわゆる方向感覚)、5歳以下ですよ、場合によっては3歳より下!」ガーン!気づいてはいたけども場合によっては3歳以下とは、まあまあやるじゃんか私!!オモロイ!

いっそ方向障害者として売り出したい!(なにを?)

 

というわけで本日の私の運転免許更新のすっとこどっこいダンジョンをお届けいたします。

 

【運転免許更新ダンジョン!ファイッ!】→普段使わない地下鉄に乗るために改札がわからず彷徨う→改札発見→階段でつまずき派手に手をつく→降りたい駅にゆくホームがわからず→戻って駅員さんに聞く→ホーム発見!→もどりぎわ思い切り人にぶち当たられて痛い涙→電車乗る→降りる→改札前ICOCAが見当たらない→カバンぶちまけ→ICOCA発見→改札を出る→更新センターに1番近い出口がわからず彷徨う→発見→出ておそるおそる歩く→センター発見!→申請→4番窓口で「あなた3番飛ばしてますね」と注意を受ける本人無自覚→戻る→進む→講習にエントリー→講習でもらう冊子類を床にぶちまける→講習終了証にハンコをもらうタイミング合わず指先に押され押し直し→新免許待ち→名前を呼ばれる→いつもながら憔悴しきった表情の免許写真→なんとか手に入れた!!

 

おまけ、帰り道中違い路線の電車に乗る。帰れなくはないが、この路線じゃないんだけどなあと思いながらトボトボ帰路へ。

 

帰りがけご褒美みたいな夕景。そして今日は、別府温泉応援チャリティーTシャツ。

 

さて明日からもつまずきながら、歩く私たちを見守ってください。

 

会いたい人に会える秋が来ますように

 

こどもエンターテインメント

代表 みうら ゆうf:id:yuutakekodoen:20180903013650j:image
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生きていてよかった生きていてよかった

なにこれ?みたいなプレイリスト晒しますが、深夜高速は特にぼくのソウルミュージックなんですよ(あ、私みうら ゆうの呼称はちょいちょい''ぼく"になりますが、知らんがなぐらいでスルーしてください)

心の中にいつもあるんですよ「生きていてよかった生きていてよかった 感じることが全て感じたことが全て」10代のもがき苦しんだ経験も全て忘れないで持っていこう。ずっとずっと種を蒔いていこう。

西野さんの音楽祭で歌われていた、フラワーカンパニーの「深夜高速」どれほどこの歌に救われたかわからない。ぼくはそもそも音楽依存な人間で、大体は音楽の中に自分を放って、消化するみたいな事だとか、歌詞の世界観にどっぷり依存して生きているような時期が非常に長かった。もうすぐ49歳になる現在においても、そのあたりは変わっていない。

 

音楽がなければ生きていなかったかも知れないレベルで音楽に助けられてきたから、音楽の歴史をかなり勉強した。人間は古来から、歌わないとやってられねぇや、みたいなレベルの厳しさを、ほんとに歌ったり踊ったりしながら、やり過ごし乗り越えてきたんだ。もっともっと生活の中に当たり前に音楽があってほしい。

 

やっぱり、子どもたちに、音楽を含むエンターテインメントの世界をくまなく届けたいな。

どうしてもどうしても。

 

とは言え、そんなこと言ってても、ちっとも悩みを継続させることができないノーテンキではある。だからまあできるだけできるだけ、明るい未来に向かって歩きたいんですよ、生きたいんですよ。その先に子どもたちが、イキイキと自由に自分を生きる姿を想像しながらね。

 

そしてなによりも、息子が軽やかに余命を越えていく姿を思い描きながら。息子の言葉を集めながら、あちこちに記しながら、明日も同じ世界に目覚めますように。

 

今日も息子は鼻歌を歌いながら、脚でバランスボールまわしたりしながら、好きなだけYouTubeを漁り、深夜にはスプラトゥーン大会にオンライン参戦し、盛り上がり。まったくもー!自由人め!

 

だけどそんな姿をずっと見ていたんですよ。

 

あ、明日歯医者で歯を削るんだったー!わあーやだあ〜泣ける(´༎ຶོρ༎ຶོ`)f:id:yuutakekodoen:20180831025439j:image
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おやすみなさいLOVE&PEACE

 

こどもエンターテインメント

代表  みうら  ゆう

 

 

上でも下でもないフラットな場所で楽しむ

つい先日、どう言葉にしたらいいか自分の語彙力では追いつかないような、写真が届いた。

出会いは、私たちこどもエンターテインメントが先月お話をさせていただいた「神戸モトマチ大学」村上 豪英さん主催。

赤いデスクがかっこよくカスタマイズされた車椅子の好青年、KOH氏(18)。私たちの活動に刺激を受け、当日写真撮影に来ていたイシヅカ マコトプロデューサーとそのお仲間による、熊フェスバーベキュー大会に参加するため、神戸から鎌倉まで親子で旅をしたという。

多くの人が当たり前に楽しんでいるアウトドア。バーベキューなんかは王道だろうな。しかし、車椅子だったり、身体性によりけり、それに参加するにはいくつものハードルを越えなきゃいけない。交通手段などの物理的なハードル、体調などを保つために必要な医療ケア的なハードルはもちろん、一番のハードルは「そこへ行って、自分も楽しむんだ!」という気持ちになるまでの精神的になハードルだ。身体が自由に動けば、おそらくこれらのハードルは存在しないに等しい。熱中症の対策や、必要な経費の捻出ぐらいかな。

もし、KOH君親子が、私たちの拙い話をきっかけにこれらのハードルを越えてくれたんなら、それはそれは本当に嬉しい。私たちの厳しく困難な体験が誰かの役に立つ。まだまだがんばろうと思うし、こういうことこそが、私たちを突き動かす原動力になっている。

これからもこうして繋がった仲間とともに、自分たちらしく楽しんで生きていくことを目指したい。

次回、この好青年と出会えるのは、10月のオリィフェス2018かな。楽しみにしてます。

 

ありがとう。f:id:yuutakekodoen:20180824151520j:image
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こどもエンターテインメント
代表  みうら ゆう

学校は時代にマッチして形態進化を遂げるべき

 

公教育は全ての児童生徒が学びの機会を持てる素晴らしい制度だと思う。だからこそ、時代にマッチした形態に進化させて続けてほしいし「学校」という場所を学びの場として選択しない子どもたちを認めることもしてほしい。それを考えると学校はもっと第三者が入れる開かれた場所になっていくべきだと思う。

たとえば「先生」は教員免許を持った人だけである必要がない。つまり先生じゃない人が先生になればいいという話。なにかの世界に突き抜けた特技を持っている人がその世界の話を、それに興味関心がある子どもたちに話す。子どもたちは興味関心を持って楽しく聞く学ぶ。加えて経済のこと、お金の使い方、福祉の制度、自治体による税金の違い、年金、保険、各種手続き、税金の払方、控除の受け方…こういう事こそ幼い時に学びたかったと振り返り思う。

歴史に名を残したリーダーたちのほとんどが、大切にしていたのは「子どもたち」の存在そのもの。現在の大河ドラマでは西郷どんが「子は国の宝」と表現している。そしてその国の宝である子どもに「学び」「教育の機会」を与えることはさらに大切だとしている。

これからの時代を背負っていく子どもたちを大切に育て、伸び伸びと学び、遊び、自由な発想で豊かな心で生きていけるような社会をつくりたい。

こどもエンターテインメント
代表 みうら ゆうf:id:yuutakekodoen:20180820174438j:image

 

突き刺してくる「母親」というブランド力

 

たしか、前回のブログで「一筋の光が射してきた」ので、その話はまた明日!なんつって、数日経過したうえに、その話はやめて、違う話をします。ごめんなあさいねぇ〜

 

だってね、先日実家の町内会が地蔵盆だっていうから、ちらっと実家に帰ってきてね、しかも他界した親父の誕生日だっていうんで、生誕祭やりたい!とかいう母親の早朝電話で起こされまして。

 

私が生まれ育ったのは京都。しかも繊維の街に育ち、中小零細企業の初代社長祖父、そして2代目を親父が、3代目はジェイソウルじゃなくて弟が(すべってないすよ、すべるってわかって言ってんだからね!!で、しかも弟は後継ぎしていない) そして、その町内会にはそれぞれのお地蔵さんがまつられてあり、お盆にはほこらから出して、町内会の子どもたちが、大きな数珠をお経にあわせて回して、町内の安全や繁栄を祈願する子どもの祭りが地蔵盆

 

長年、仕切っていた人が亡くなり、後継ぎを失った町内会の地蔵盆は、ぽしゃぽしゃな状態でなんとか継続開催していた。頑固な親父さんたちがいたからこそ、伝統行事は受け継がれた。しかしその頑固な親父さんたちは、次の世代に仕事を伝え育て任せる、ということをしないまま、次々に他界していった。せっかくの伝統行事をどう受継げばよいかわからない。若者世代が、なんとなく今風にアレンジしてやってみる。ソッコーで「そんなんとちがいます!」と大御所からのお叱りに、そんならやらないーと若者世代が去っていった←いまここ

 

薄ぼんやり思い出す、幼少期の地蔵盆。わりとなんだか知らないけど楽しかった。地蔵盆を知らせる行燈の絵は、子どもたちが描いた。私はよく自分が好きなキャラを描いていた。仮面ライダーウルトラマン、なぜか好きだったスヌーピー。それらはわりと好評で、褒められることのめったになかった私のなかでは、唯一褒めてもらった経験となった。その行燈が各家の軒先に灯り、地蔵盆開催期間中を知らせる。

 

私の生まれ育った街は殆どの家が商売をしている、今は、商売替えしてる家が増えた。うちもご多聞にもれず。そして地元商工会によると、60代70代が経営する中小企業の6割が、後を継ぐ人がいない状態らしい。

 

実にもったいない。私はあるものを壊して新しく作るのも悪くはないとは思うけど、せっかくあるんだったら時代にマッチするかたちに変えて継承したらいいじゃんかね?と思うのです。 もしくは、あるものとあるものを混ぜ合わせる。ファッションブランドなんかがしきりにやってるブランド同士のコラボレーション的なアレみたいな感じ。

 

建物でもそう。新しい建物もいいけど、今ある建物を今使いたい人がいい感じにリノベーションすれば、まだまだ使える。

 

京都にいくたびに、そのあたりどうにかしたいなと本気で思う。そしてやはり京都のおばちゃんらは、お節介だが料理がうまい。誰かに食べさせたくて手ぐすねひいて、待っている。これをどうにか、必要な人とマッチングできないもんかな。母が親父の生誕祭だからと、張り切ってホテルのディナーバイキングにつれてくれたが、私は近所のお節介大好きおばちゃんたちが作った手料理の方が数倍美味しいと感じた、ホテルのディナーバイキングよりもだ。

 

さて表題。どうしてだか、私は批判やバッシングには慣れているのに、実母になにか指摘されたり、怒られるとめちゃくちゃ心に刺さってしまう。それだけに母というブランドは強いんだ。息子を子どもらしく生活させてないことがご不満のようで、再三そのあたりをつかれた。

本来なら、そんなこと言われ慣れてるし、めったなことでは刺さらないのに、なぜか実母がいうとめちゃくちゃ刺される。学校にはなぜ行かさない?どうして同じ年齢の友達がいない?全て母親であるお前のせいだ…あー、うん。学校のことは、散々息子と話し合ってきた。小1になったばかりの息子と、将来のマップを書いて話し合った。人生には選択肢とそれを選ぶタイミングがある。どんなに幼くてもその権利は本人にある。どんなに幼くても話し合って自分の意志で選択してほしい。そうして私たち親子は同士としてここまでやってきた。それなのに、実母からの学校行かせろバッシングがめちゃくちゃ心に刺さる。刺してくる。

 

母親というブランド力、魔王のごとし、ラスボス感が半端ない。

 

加えてうちの場合、実姉もかなり刺してくる

「大人みたいな難しい話ばかり聞かされタケヒロがかわいそう」

ぶっささる。なぜよけれないんだ。いつもなら得意げにかわす矢の類だ。

恐ろしいことに、帰る頃には「あー私はダメな母親だ」というズタボロ状態が完成している。

 

母親てなんなんだろうな。血縁はなんのために、血縁でいるのか。私は血縁でもない赤の他人の仲間に、血縁以上に家族のように支えられて生きている。お父さんお母さんが大好き!と言える人はそれでよい。でも言えない事情を抱えていてもそれでよい。

 

そしてやっぱり人は人とのつながりの中で生かされている。1人では生きられない。血縁、赤の他人関係なく、同じベクトルの人や、安心できる人、楽しめる人とつながって生きていたい。

 

いやあ、それにしても、母親という強大な力よ。私はそこと戦おうとは思わないのに、すごく、きつい。普段は忘れているが、私も母親だ。息子にとって、脅威のブランド力になってないか、思考の中にいつも叩き込んでおかなければ。

 

人が人として誰かと生きていくときに、必要なことはなんだろうか?少なくとも、京都のお節介なおばちゃんらの顔が浮かぶし、地域の子どもたちのためにお盆の1番暑いときに、汗を流して地蔵盆をとりおこなうおじさんらを思い浮かべる。時代にマッチにする形でそれらを変えながら、人は人とつながりながら生きていけたらいいなと思う。

 

時には1人の時間も必要だけど、やっぱり誰かと話していたかったり、人って、なんだかそういったもんだから、わがままとか、迷惑とか思わずに、一緒にいたい時には一緒にいて、そうじゃない時も、なんとなく心の中では一緒でね。うん。そんな感じでどうだろうか?

 

あ、こうして綴っているうちに、ぶっ刺さっていた矢が抜けました。長文にお付き合いくださりありがとうございました。

 

次回こそ、この前の続きを。あ、なんだっけ?続きって?いい加減にしろー!はい!失礼いたしました!

 

こどもエンターテインメント

代表  みうら ゆうf:id:yuutakekodoen:20180819212814j:image